「死ぬこと以外かすり傷」という言葉は、挑戦を恐れず前向きに生きる人々の間で広まった名言です。SNSや書籍、テレビなどでも度々登場し、自己啓発の象徴のように使われています。
しかしこの言葉、実はさまざまな“元ネタ説”が存在し、誰が最初に言ったのかには諸説あるのです。
この記事では、「死ぬこと以外かすり傷」の元ネタや最初に言った人物について、わかりやすく解説します。
死ぬこと以外かすり傷の元ネタとは?
- 英語の名言が由来という説
- ロッキー青木が日本語訳で広めた説
- テレビ番組で話題になった説
- スナック名刺で拡散した説
英語の名言が由来という説
最も有力とされているのが、アメリカのボートレーサー ビル・マンシー(Bill Muncey) の言葉です。
彼は生前、「Anything less than death is a minor accident(死ぬこと以外は軽い事故だ)」と語っており、このフレーズが日本語化されたと考えられています。
直訳すると「死ななければ大したことない」という意味で、まさに「死ぬこと以外かすり傷」と同じ精神を表しています。
ロッキー青木が日本語訳で広めた説
日本では、実業家 ロッキー青木 さんが1989年に出版した著書『人生、死ぬまで挑戦だ』の中で、ビル・マンシーの言葉を紹介しています。
その中で「死ぬこと以外は軽傷だ」という表現を使っており、これが日本で最初に広まったきっかけではないかと言われています。
挑戦することを恐れず、失敗も学びに変えるという彼の哲学が、この言葉に込められていたのです。
テレビ番組で話題になった説
この言葉が広く知られるようになったのは、2014年3月に放送された日本テレビ「笑ってコラえて!」がきっかけとも言われています。
番組内の街頭インタビューで、酔っ払った女性が「死ぬこと以外かすり傷!」と発言した場面が話題となり、SNS上で一気に拡散されました。
このときの発言が印象的だったため、「誰の言葉?」と多くの人が検索し、名言として定着したのです。
スナック名刺で拡散した説
もう一つ有名なのが、「スナックゆう子」という名刺に書かれていたという都市伝説的な話です。
名刺の裏に「死ぬこと以外かすり傷」と印刷されており、その写真がSNSで拡散されました。
実際には画家・永山裕子 さんがイベント用に作った名刺だと言われていますが、この“遊び心”がネットでバズったことで、言葉が再び注目されたのです。
死ぬこと以外かすり傷を最初に言ったのは誰なのか?
- ビル・マンシーの名言との関係
- ロッキー青木の著書に登場した理由
- 山崎拓巳・箕輪厚介による普及
- 名言として定着した経緯
ビル・マンシーの名言との関係
最初の発言者をたどると、やはりビル・マンシーが原型を残した人物といえるでしょう。
「死ぬ以外は軽い事故」という考え方は、命をかけて競技に挑む彼の生き様から生まれた言葉であり、根底には“恐れよりも挑戦”という強い信念があります。
ロッキー青木の著書に登場した理由
ロッキー青木さんは、海外で出会ったこの言葉に深く感銘を受け、自身の著書で紹介しました。
彼は日本文化とアメリカ精神の融合を体現した人物であり、この名言が彼の人生哲学と重なったのです。
そのため、彼を通してこの言葉が日本語として自然に広まりました。
山崎拓巳・箕輪厚介による普及
自己啓発作家 山崎拓巳 さんがブログや講演でこの言葉を引用し、2010年代以降に注目を集めました。
さらに2018年、編集者 箕輪厚介 さんの著書『死ぬこと以外かすり傷』(マガジンハウス)が出版され、ベストセラーとなったことで一般層にも浸透。
この本がきっかけで、若者の間でも“挑戦を恐れない生き方”の象徴として再び流行したのです。
名言として定着した経緯
こうして英語の名言から始まり、ロッキー青木や山崎拓巳、箕輪厚介らを通じて進化した結果、
「死ぬこと以外かすり傷」は“どんな失敗も恐れず前へ進め”というメッセージを持つポジティブな言葉として定着しました。
今ではSNSやスピーチなどで引用されることも多く、現代の座右の銘のひとつとして愛されています。
死ぬこと以外かすり傷の元ネタとは?最初に言ったのは誰なのか?まとめ
- 元ネタはビル・マンシーの英語の名言が有力
- ロッキー青木が日本語で広めたことで知られるようになった
- 2014年のテレビ番組や名刺で再び注目を集めた
- 箕輪厚介の著書で現代に定着した
- 挑戦を恐れず生きる象徴的な言葉として今も使われている