重たい鉄の扉がギィィィィッと音を立てて閉まった。
そこは、国家転覆を企てたとされる女が収監されていた、極秘の独房だった。
その女囚――ケンドーコバヤシの母は、処刑を待つ夜、ひとつの命を産み落とす。
「この子には、世界を救う“笑い”がある」
そう言い残し、翌朝、ギロチンにかけられてこの世を去った。
その赤子には、母の姓を引き継ぐ代わりに、看守が名を与えた。
――髑髏林禿鷹丸(どくろばやし・はげたかまる)。のちのケンドーコバヤシである。
彼は岡山の山奥に預けられ、村人たちから“野生のケンドー”と呼ばれた。
裸足で山を駆け、蛇を素手で引き裂き、魚を生でむさぼる日々。
その姿に、誰もが畏怖の念を抱いた。
やがて父親が現れるが、再会を喜ぶ間もなく、息子を旅の商人に引き渡す。報酬は――銀貨5枚。
「安いな」
幼きケンコバは、そうつぶやいたという。
その後、大阪・東住吉区で“文明”に触れた彼は、中学で異端児として名を馳せ、高校ではラグビー部の主将として暴れまわる。
自宅では、“ノーパン書道教室”なる奇怪な道場が運営されていた。
ある日、地下鉄でチンピラと口論になり、駅のホームで銃口を向けられた彼は、
「撃つなら撃て」と仁王立ち。
銃のグリップで頭を殴られ、駅構内を笑い声で満たしたという。
彼がブリーフしか履かない理由は、「ゴルゴ13がそうしてるから」。
シンプルにして最強のロジックである。
ケンドーコバヤシの生い立ちがヤバすぎる!笑える伝説エピソード集
- ノーパン書道教室で育った!?驚きの家族設定
- 銀貨で売られ、地下鉄で撃たれ、ブリーフに生きる
ノーパン書道教室で育った!?驚きの家族設定
「実家はノーパン書道教室。正座は禁止。集中力が途切れるから」
ケンコバ本人がそう真顔で語ると、MCも視聴者も笑うしかない。
笑いのための“設定”とは思えない自然さと、あまりにブレない語り口が彼の魅力。
銀貨で売られ、地下鉄で撃たれ、ブリーフに生きる
父に銀貨5枚で売られた。
地下鉄で銃を突きつけられた。
ゴルゴ13の影響で、今もブリーフしか履かない。
どれも本人が堂々と語る“諸説あり”ネタだが、真偽を問い詰める者は誰もいない。
笑えることがすでに“真実”なのだ。
ケンドーコバヤシの生い立ちは実際どうだった?リアルプロフィールまとめ
- 大阪出身の普通の少年時代と家族構成
- ラグビー主将から芸人へ!本当の歩みとは
大阪出身の普通の少年時代と家族構成
ケンドーコバヤシ(本名:小林友治)は、1972年7月4日生まれ。
大阪府大阪市東住吉区出身。
母・父・姉との4人家族で育ち、少年時代は漫画や特撮に夢中な、どこにでもいる“面白い子”だった。
姉との関係も深く、20代の彼女ができたと話した際には姉から本気で叱られたという。
「笑いと恋は別。責任を持て」と諭されたその言葉は、今も心に残っているという。
ラグビー主将から芸人へ!本当の歩みとは
中学を卒業後、初芝富田林高校に進学し、ラグビー部でキャプテンを務める。
スポーツでも人望でも、すでに頭角を現していたケンコバは、高校卒業後にNSC(吉本総合芸能学院)へ。
1992年に芸人デビュー。語り芸スタイルと独自の世界観で、今や誰もが認める実力派芸人となった。
ケンドーコバヤシの生い立ちが衝撃!まとめ
- ケンドーコバヤシの生い立ち伝説は、笑いを極めた“語り芸”の真骨頂
- ノーパン書道、銀貨売買、地下鉄銃撃――どこか信じたくなるフィクション
- 実際は大阪出身のラグビー主将で、芸人として努力を重ねてきた人物
- 嘘と本当のあいだを行き来しながら、“笑いの真実”を届け続けている
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